御祭神

焼津神社 > 御祭神

御祭神

日本武尊(やまとたけるのみこと)

主祭神 日本武尊(やまとたけるのみこと)
相殿神 吉備武彦命(きびのたけひこのみこと)
大伴武日連命(おおとものたけひむらじのみこと)
七束脛命(ななつかはぎのみこと)

日本武尊

日本武尊とは

焼津神社のはじまり

焼津神社の御祭神である日本武尊(やまとたけるのみこと)は、12代景行天皇の皇子であり、勇敢で利発な人物であったと言われています。
日本武尊の知恵と勇気と優しさを称え、焼津の守神としてお祀りをしたことが焼津神社のはじまりです。

日本武尊の力を恐れていた景行天皇は、自ら遠ざけるために九州の熊曾建(くまそたける)兄弟の討伐を命じました。
平定の旅に出た日本武尊にとっては苦難の連続でしたが、
伊勢神宮の斎宮であり日本武尊の叔母でもある倭姫命(やまとひめのみこと)から与えられた着物で女装をし、敵を油断をさせることで見事に勝利し、平定を成し遂げました。
日本武尊の名は、もとは小碓命(おうすのみこと)また倭男具那王(やまとおぐなのみこ)といいましたが、敗れた熊曾建から「これからは、ヤマトタケルノミコと称えましょう」と名前を贈られました。

日本武尊と焼津(やいづ)の由来

焼津(やいづ)の由来

熊曾平定の後、出雲の出雲建(いずもたける)を倒し、大和へ戻った日本武尊ですが、その力をますます恐れた景行天皇から、休む間もなく東国の平定を命じられます。
東へ向かう前に、今度は倭姫命から天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)と、火打ち石の入った袋を授かりました。

この地に着いた日本武尊は、敵に欺されて草むらの中で四方から火を点けられてしまいます。
窮地に陥った日本武尊は、とっさの機転で倭姫命から授かった天叢雲剣で草をなぎ払い、火打ち石で逆に敵に向かって火を放ちました。
炎は向きを変え、勢いよく敵に向かって燃え広がり、無事窮地を脱することができました。
この後、天叢雲剣は草薙の剣(くさなぎのつるぎ)とも呼ばれるようになり、現在でも名古屋の熱田神宮にお祀りされています。

この伝説から、この地は「ヤキツ」といわれるようになり、現在の「焼津(やいづ)」という地名の由来となったのです。
この話が書かれている「古事記(こじき)」が編纂されたのは和銅5年(西暦712年)。「焼津」という地名には、1,300年以上の歴史があるということなのです。

日本武尊と弟橘姫

焼津で敵の火攻めにあった時、日本武尊は妃の弟橘姫(おとたちばなひめ)を守りながら戦いました。
戦いの後、さらに東に進み走水(現在の横須賀市)までやってくると、海が荒れて船で進むことができませんでした。弟橘姫が「私が海の神を鎮めましょう」といって「さねさし 相模の小野に 燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも(燃えさかる炎の中で 私の名を呼んで気遣ってくれた あなたよ)」の歌を残し海に身を投げると海は静まり日本武尊は無事対岸に渡ることができました。
焼津では妻を守り、走水では夫を守り、互いを想いあう夫婦の愛の物語が古事記には描かれています。
弟橘姫が海に身を投げてから数日後、海岸に弟橘姫の櫛が流れ着いたという言い伝えがあり、今でも8月のお祭りでは「北の御旅所」という所で櫛の形に作った餅がお供えされています。

ページトップ